幸福な人生

哲学

幸せとか幸福って何だ、と思うことってありませんか?
私はあります。
私、今はとっても頑丈ですが、子どものころは結構病弱で小児喘息持ちだったものですから発作が出た時なんて、しんどくてしんどくて、何が楽しくて生きてるんだろう、なんて思ってました。
今は健康ですが、それでも日々起こるいろいろな問題を考えると、人生何が楽しいんだろ~などとぼやっと考えることがあります。

最近、ユヴァル・ノア・ハラリさんの「サピエンス全史」を読んだのですが、近年「幸福」についての研究が進んでいるとのことです。
で、概ね結論づいているのですが、幸福とはつまり「主観的厚生」と呼ぶらしいです。
なんやねん、それ? ですよね。
要するに、幸福かそうでないかは外部要因はほぼ関係なく、あくまで主観的にどう思うかってことです。
つまり、自分の脳みそがどう感じているか、ですよね。
他者から見て、どれだけ悲惨に見えようがどうであろうが自分が、自分の脳みそが「幸せ」と感じていれば「幸福」なのだそう。

う~ん、そうなのか・・・
でも、病気でしんどかったり、お金がなくて好きなものが買えなかったり、彼女に振られたり、離婚したり・・・ 普通そういうことがあるとしんどいし、不幸だと思ってしまいますよね。
しかし同時に、それらの客観的なマイナス要因って、感じ方に個人差があるように思えます。
同じ事態が発生しても、自殺してしまうほど落ち込む人もいれば、ちょっと気晴らしに美味しいものを食べたら、翌日には復活する人もいます。
そう考えると、なるほどなるほど、やっぱり主観的な部分が大きいのですかね。
だいぶ前のハリウッド映画「マトリックス」もそういうテーマがありましたね。
AIのためのただの「電源」にされた人類が脳にコネクタ埋め込まれてケーブル繋がれて、ほぼ現実世界のバーチャル体験をさせられてます。その接続から離れた人の中に、もう一度接続しなおしてバーチャルに戻してもらうことを懇願するなんてシーンがありました。
つまり「幸福」に客観的現実は必要ないということです。
まぁ、考えると当たり前といえば当たり前なのですが、そういうことを真剣に研究している学者さんがいらっしゃるんですね。

ただ、限られた時間をどう生きるかを考えた場合、とても重要なことだと思います。
残された時間が少なくなっているミドルエイジ(中年)以降は特にそうです。
中年や老年は長く生きている分、いろいろな体験をされたり、様々な人生状況の方がいることでしょう。
客観的には、結構悲惨というか不幸に思える人たちも多いのではないでしょうか。

しかし、その残りの人生を「幸福」なものにするか「不幸」なものにするかは、詰まるところ自分の脳みそ次第ってことです。
自分の脳みそに、自らをいかにして「幸せ」と思わせることができるのか。
これは重要な問題ですね。
例えば、離婚や失恋の心のショックというのは、一定期間で確実に癒えるらしいです。
これは学術的に証明されているとのこと。面白いですよね。

とは言え、言うは易く行うは難し。今の人類は「不安」がりで「臆病」な気質を多分に持つ人たちの子孫らしいのでね。
それはなぜって? やはり太古、自然が厳しい時代は「不安」がりで「神経質」「慎重」で「臆病」な人たちしか生き残れなかったので、そのような遺伝形質を色濃く受け継いだ人たちが現代の人類とのことです。

う~ん、またしても遺伝子かぁ・・・
イヤイヤ、自分自身はお気楽に能天気に、つまり「主観的厚生」に生き抜いてやる! と誓う日々でした。

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