人生の意味

仏教

なんだか、妙に重たく感じるタイトルになりました。ごめんなさい。

なんでこんなタイトルにしたかと言えば、それはまぁ、いろいろと考えることが多いからです。
数ヶ月前に実家に帰ったときにNHKだったかな? 何気なく流れていた番組に興味を引かれて見てました。
ひとり暮らしの母親は、いつも何らかのテレビ番組をつけてます。

何やら田舎のお寺で外国人が修行している番組でした。日本の仏教思想に惹かれる外国人が結構いるとは聞いてました。スティーブ・ジョブスもそうだったですね。
実際に修行している人がいるんだなぁ、くらいに思って見てたんです。
基本的に自給自足でみんなで畑仕事をしたり、村の人達から食料をいただいたりしながら修行してました。
基本的には貨幣経済の外側で生活しているようでした。

その中で30年間そこで修行しているドイツ人のお坊さんがインタビューに答えていました。
いろいろと話していたのですが、その中で聞き手の人に「この30年の修行を経て、今どう考えているか?」みたいなことを聞かれてました(あくまでニュアンスです、厳密には違ったかも)。
それに対して「人生に意味はない」という事に気づいた、と答えていたのが印象的でした。

これ、深いですね〜。
他にもいろいろと良いことを話していたと思うのですが、最初に言っていたこのフレーズにドーンとやられましたねぇ。
あくまで印象ですが、キリスト教圏の人たちって、あまりこういう事言わないですよね。
神のもとに意味を与えられる、みたいなね。

心が軽くなる思想

この仏教的な「無常感」「一切皆空」の感覚って、とても東洋的で好きなんです。
なんだか、気持ちが軽くなるじゃないですか。
生きてる以上、「何かをなさねばならない!」「責任を果たさねばならない!」みたいな雰囲気がどうしても強いですもんね。

しかしですね、どこまでどう行っても、何かの偶然で生まれてきて、いろんな運や偶然に翻弄されながら成長し、最終的にはひとりで何も持たずにあの世に行くわけです。それでもって、どんなに立派な功績を残した人でもせいぜい数十年後には忘れ去られるのです。
人生なんてその間の暇つぶし、とまで言うと言い過ぎですかね。

私は今毎日忙しく、これまで手に入れたいろいろなもの(モノや関係性など)を手放してきました。
これからも手に入れたり手放したりするでしょう。
こういうふうに考えると、逆にいろんな事が楽しくなります。虚しくならないのが不思議ですね。
いわゆる、「執着」というやつから少しだけ開放されるのでしょうかね。

私はミドルエイジ(中年)以降の人生は、そのドイツ人のお坊さんの境地に近づいた方が、心豊かにかつ幸福に生きられるように思います。
不思議なことに、そのお寺で修行していた外国人たちは、元々ITエンジニアや法律家みたいな知的階級であったり、経済的にも豊かだったり、家族もいたりしていた人たちでした。それこそ、すべて手放して来ているのです。

みなさん、何か思うところがあって、わざわざ日本の田舎くんだりまで来ていたのでしょうね。
そういう気持ち、少しわかる気がします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました